ハイデルベルク(Heidelberg)

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ハイデルベルクの位置

ハイデルベルクはバーデン=ビュルテンベルク州(Baden-Württemberg)の北部に位置する人口約14万人の街です。ネッカー川沿いに広がる街並みは非常に美しく,ドイツの美しい街並みの代表といっても過言ではありません。また鉄道・自動車ともフランクフルトや周辺の大都市とのアクセスの便に恵まれており,フランクフルト空港からは自動車で1時間程度で到着できます。こうした要因からか,日本の旅行社が企画する団体旅行ではハイデルベルクは必ずといっていいほど経路に含まれており,ハイデルベルクで日本人観光客に出会う確率はかなり高いです。中世以来の古い街並みが残されている点で共通のコンスタンツとの大きな違いは,日本人観光客の有無とも言えます。

すぐそばをネッカー川が,また近くをライン川が流れている影響もあり,ハイデルベルクはドイツの中でも温暖な地域として知られています。冬の寒さは年によってかなりの変動があるようですが,日本からの冬用の服でほぼ十分だとも言われています。

ハイデルベルクの歴史

ハイデルベルク大学の講堂

ハイデルベルクは有史以前のかなり前の段階から人類が住んでいたと言われますが,その名前が歴史上クローズアップされるのは,神聖ローマ帝国の有力領邦であったプファルツ選帝侯がハイデルベルクを首都とした14世紀頃からです。1386年にはドイツで最古の大学であるハイデルベルク大学が創設され,今日までドイツの基幹的大学としての地位を保ち続けています。

ハイデルベルクはその後,宗教改革の際にプロテスタント側に立ちますが,そのために30年戦争で重大な被害を受けます。さらに17世紀末のプファルツ継承戦争でハイデルベルクはフランス軍の攻撃を受け,ハイデルベルク城は破壊されました。さらにその後,ハイデルベルクはこの地域の政治的な中心地としての地位を失って衰退しますが,他方で新たな支配者となったバーデン大公国の初代大公のカール・フリードリッヒの庇護の下で大学街として知られていくようになります。

第2次世界大戦の際にドイツ全土は空爆による大きな被害を受けていますが,ハイデルベルクは小規模な空爆にとどまったため,現在でも中世以来の(再建ではない)美しい建物を見ることができます。また戦後のハイデルベルクはアメリカ軍の駐屯地にもなっており,その影響でアメリカの軍人を多く抱えています。

ハイデルベルクの現在

哲学者の道から見たハイデルベルク城と旧市街

ハイデルベルクの玄関口にあたる中央駅(Heidelberg Hauptbahnhof)は旧市街から2km近く離れたところにあります。中央駅付近は近代的な建物が多く,中世の建築物を想像しながら中央駅に降り立つと,そのイメージとの違いに少々驚きます。中央駅から旧市街の入口にあたるビスマルク広場(Bismarckplatz)までは市電またはバスを利用することになります。

旧市街のメインストリートは,ビスマルク広場からマルクト広場・市役所に向かって進む中央通り(Hauptstraße)です。ここは常に歩行者天国になっていて,一般車両の通行は制限されています。デパートや観光客向けの店,レストラン,ホテルと並んで,プファルツ選帝侯博物館やドイツ包装博物館などの博物館もあります。この通り沿いにハイデルベルク大学の文系学部の建物が並ぶエリアがあります。ここには学生牢や大学図書館などもあります。中央通りから少し奥に入った大学広場(Universitätsplatz)は,旧市街のバスターミナルとしての役割も果たしています。

ハイデルベルクはネッカー川と丘陵地の間の非常に狭い空間に市街地が発達しています。それを見下ろせる位置にあるのがハイデルベルク城です。日本からの団体旅行のほとんどは観光バスでアクセスしますが,一般交通機関を利用する場合にはケーブルカーが便利です。ネッカー川の対岸から旧市街を眺めるには,哲学者の道(Philosophenweg)が最適です。ただ,ここにアクセスするまでの坂道はかなり急なので(特にハイデルベルク城近くのカール・テオドール橋からシュランゲン小道を通るルートはかなり急峻です),時間と体力の余裕を見て訪れた方がよいかもしれません。

    

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