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ベルリンの位置
ベルリンはドイツ連邦共和国の首都であり,人口は340万人を超えています。ドイツ帝国時代にはベルリンはドイツ全土のほぼ中央部に位置していました。しかし第二次大戦後に東プロイセンがポーランド領になったことから,ベルリンの位置はドイツのなかではかなり東部に偏っています。
ベルリン州はドイツに3つある都市州の1つで,ブランデンブルク州に囲まれています。ブランデンブルク州の州都ポツダムまでは快速で20分程度で到着できます。ドレスデンまではIC・ECで約2時間,ハンブルクまではICEで約2時間です。ベルリンはまた東ヨーロッパへのゲートウェイでもあり,ポーランド・チェコなどに向けた国際列車も多く運行されています。
ベルリンの歴史
ベルリンが都市として成立したのは13世紀ごろであると言われています。1415年に神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントがニュルンベルク城伯のフリードリッヒ・フォン・ホーエンツォレルンにベルリンが含まれる辺境ブランデンブルクを与え,1448年にはベルリンにその宮殿が置かれます。以降,ベルリンはホーエンツォレルン家の中心地として発展します。
1701年にプロイセン王国が成立し,ベルリンはその首都となります。さらに1871年に成立したドイツ帝国でもベルリンは首都となり,ヨーロッパの重要な都市となりました。第1次大戦後に成立したワイマール共和国でもベルリンは首都のままであり,その後のナチス政権でもベルリンはドイツ政治の中心地であり続けました。
第2次大戦後,ベルリンは連合国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)の分割占領のもとにおかれました。1949年に東西ドイツが分裂した際に,旧西ベルリンだけが旧西ドイツの飛び地になりました。西ベルリンはベルリン封鎖を乗り越えて,東側に対する西側のショーウィンドウと位置づけられ,また東側からの脱出の窓口にもなっていました。これに危機感を抱いた旧東ドイツが1961年に建設したのがベルリンの壁でした。ベルリンは東西冷戦の対立の舞台として戦後史の重要舞台であり続けました。そこに終止符を打ったのが,1989年11月9日のベルリンの壁崩壊(Mauerfall)でした。1990年10月3日にドイツ統一がなされ,ベルリンは再びドイツ全体の首都となりました。
ベルリンの現在
旧東ドイツ地域の主要都市は統一後大規模な再開発がなされ,ベルリンも旧東ベルリンを中心に大きな変容を遂げました。旧帝国議会は改修されて連邦議会の議事堂となり,そのすぐ近くにはベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)が建設されました。戦前の繁華街で旧東ベルリンにあったウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)は再び繁華街として整備されました。
しかし,統一から20年を経た現在でも,旧東ベルリンと旧西ベルリンとの差はなくなっていません。旧東ベルリンは未だに工事現場が多く,また失業者の数も明らかに多いです。またベルリンは移民(トルコ系やアラブ系)が多く,移民の統合政策をめぐりさまざまな問題が生じています。