ストラスブール(Strasbourg)

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ストラスブールの位置

ストラスブールはライン川の支流のイル川に囲まれた美しい旧市街を持ちます。歴史的にはドイツ系の住民が居住してきた地域で,ドイツ語表記のシュトラスブルク(Straßburg)は直訳すると「街道の城」という意味になります。この言葉から分かるように,ストラスブールは古くから交通の要衝として栄え,現在でも陸上交通・水運(ライン川)の拠点都市です。

欧州史の象徴としてのストラスブール

旧市街の様子はほとんどドイツ

ストラスブールの属するアルザス地方(ドイツ語読みではエルザス地方)は,ドイツとフランスの領土争いの舞台としてよく知られています。もともとは神聖ローマ帝国に属していましたが,17世紀の終わりにフランス領になり,以降はフランス風のストラスブールと改名されます。ライン川をフランスとドイツの国境とすべきとする自然国境論からすれば,ライン川の西側に属するこの地域はフランス領になるべきだというロジックが用いられました。しかし普仏戦争後にはドイツ帝国領となり(このときを舞台とした小説が,日本でもよく知られている『最後の授業』です),第一次大戦後には再びフランス領,さらにナチス期にはドイツ領となり,第二次大戦後にはフランス領となって現在に至っています。現在ではフランスの東側の玄関口としての機能も持っています。

このような歴史をたどっているため,ストラスブールの旧市街の様子は,南ドイツの歴史ある都市とほとんど変わりません。特に美しいとされるPetite Franceと呼ばれる地域でも,名前はFranceながら,実際の建築物は黒い森を中心とするドイツ南部の都市に見られるものとほとんど同じです。街にはフランス語表記に混じってドイツ語の表記も見られます。

ストラスブールの現在

ストラスブールの象徴 ノートルダム大聖堂

ヨーロッパの近代国民国家の拡張競争の舞台となってきたストラスブールは,現在ではヨーロッパの統合の象徴となっています。ストラスブールには欧州議会・欧州評議会・欧州人権裁判所が設置されており,ベルギーの首都ブリュッセルと並んで,欧州全体の中心都市としての色彩を帯びています。「カールスルーエ(Karlsruhe)」が連邦憲法裁判所の代名詞として使われるのと同様に,「ストラスブール(Strasbourg)」は欧州人権裁判所を指す言葉として使われることがあります。

ストラスブールはまた,ドイツとフランスの交流の象徴でもあります。パリからシュトゥットガルト・ミュンヘンを結ぶTGVはストラスブールを通過します。またライン川をはさんだ隣町のオッフェンブルク(Offenburg)との間は普通電車で30分程度で結ばれています。この地をめぐって長く争ってきた両国の国民が自由に往来し,また両国の文化が解けあっているストラスブールは,まさに欧州統合を象徴する都市と言えるでしょう。

    

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