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第25回 ゼミ論文発表会

今年度の最終回,また大橋ゼミとしても最終回となった今回は,ゼミ論文の報告会が行われました。神戸大学から角松先生が駆けつけてくださり,またOG(12期)の古賀さんにも参加していただきました。

提出されたゼミ論文の要約は以下の通りです。

○鳥居いつほ「放送通信二元論の限界と放送制度の改善~電波は誰のものか~」

電波は誰のものなのかという疑問を解くことから,よりよい放送制度について検討を加えることが本稿の目的である。現在電波は様々な方法でいろいろな立場の者に利用をされていることから,電波全体を考えると規模が大きすぎ困難であるため,本稿では,地上波テレビ放送を主とした「放送」と,携帯電話を主とした「通信」の一部を対象とすることとした。また,「放送」と「通信」が電磁的コミュニケーション事業の一形態であることから,特に「通信」の部分においては無線と対照的な有線にも目を向けるようにした。 以上の点を踏まえ,第1章で放送通信二元論に関して,「放送」と「通信」を区別する理由とそれぞれの係る規制についてまとめ,第2章でニューメディアの登場により,「放送」と「通信」を分けて考えるべき論拠がなくなってきていることと,免許制に代表される放送のもつ閉鎖性について述べ,第3章で電波は誰のものかについて検討し,放送制度の改善点について私見を述べた。 本稿の結論としては,電波は観念的には国民全体のものであり,その電波を国民によって信託された国が,国民に代わって監理し,電波を割当てているのだというものである。よりよい放送制度に改善するには,放送免許の撤回を可能にするというような放送免許制度の再考と,電波監理審議会の行政委員会への変更および委員の構成の再検討が必要である。

○三角啓介「道州制論の検討」

本稿は,近時盛んになっている地方分権の推進をそのねらいとする「道州制」の導入に関する論議を踏まえて,その導入の是非や具体的な制度設計を考えることを目的としたものである。 第1章では,筆者の問題意識と本稿の目的を述べる。続く第2章では,まず,「道州制」の語を定義した上で,道州制の議論の基礎となる歴史を踏まえた都道府県制度の現状を確認し,その上で道州制の議論の経緯を確認し,以上の前提に立った上で第28次地方制度調査会「道州制のあり方に関する答申」の内容について確認する。第3章では,道州制の検討に不可欠な地方自治の概念について憲法的な視点を中心として検討を加え,日本国憲法の第8章の条文に関する解釈や議論を確認し,その上で,外国の憲法との比較や,地方自治の手続保障に着目する。そして,第4章では,まず,道州制の是非の検討を行った上で,連邦制の問題点を指摘し,さらに進んで道州制と憲法の規定との整合性,具体的制度設計について検討し,補足的に道州制特区法の問題点について触れる。また,具体像として九州を例にとって筆者の想像を述べる。第5章で以上をまとめる。 以上を経て得られた本稿の結論は,地方分権を目的とした道州制の導入は,現今の都道府県制度について指摘されている問題点の解決等を図るために必要なものであり,その導入の具体的制度設計に当たっては,地方自治の保障に十分に配慮したものとすべきであるというものである。

○ぱにっく「格差社会と教育のあり方」

今年度の流行語大賞のトップテンに格差社会が入るなど,現代日本では,格差について取りざたされることが多い。第二章で,格差社会問題の特徴を述べ,3章では所得格差の有無について言及している。その結果,所得格差は存在し,若年層において格差が拡大しつつあることに気がついた。4章では,若年層の格差に着目し,続く5章では,階層と格差の関係について述べた。その結果,格差の背景には,教育と経済状況の関連性の問題があることが判明した。そこで,以下の章では,教育による格差是正策について検討したい。6章以下では,教育と経済状況の関連性を改善したフィンランドの教育制度を参考にし,日本の教育制度の現状を踏まえ,学力向上には少人数教育など教師の数を増やして,きめ細かい指導を行うことが必要だと考えた。現行制度では,学校が独自に少人数学級編成やそれに伴う学校の教師の増員を行うことは,財政上の問題から困難を極める。学校が独自の教育を行うためには,都道府県教育委員会と首長の協力が必須である。

○中島彩水「都市防災と内水氾濫」

本稿は近年の集中豪雨による都市型水害について考えるものである。大河川の堤防決壊ではなく,堤防決壊とは無関係に発生する内水氾濫について,博多駅の浸水被害を例に考察した。 日本は古来より水害に見舞われてきたが,その水害は築堤工事やダム建設などによって昭和の末には相当軽減されていた。しかしここ数年で河川の氾濫以外の水害が都市部で発生しており,それが内水氾濫である。 本稿では内水氾濫が起こるメカニズムを世界・全国版と福岡版で調査し,博多駅浸水後の行政の対策を福岡市の報告書や市政資料から把握した。そこで世界的には温暖化やエルニーニョ現象が豪雨を引き起こし,全国大都市のヒートアイランド現象と相まって局地的・集中的な豪雨をもたらしていることがわかった。一方,博多駅周辺の内水氾濫は地形的要因と下水道の処理能力不足に起因していた。 最後に実際の浸水被害時に活動している実働部隊の性質やその組織について,さらに災害対策基本法にもとづき作成される福岡市地域防災計画について検討した。河川法や森林法も水防に関する規定がないわけではないが,水防法と地域防災計画が中心的役割を果たしているようだ。 結論として,内水氾濫は都市型要因と大気・海水循環型要因の2種類によって引き起こされる。そのため,予防策として防災計画や温暖化防止対策をPLAN⇒DO⇒CHECK⇒ACTIONのPDCAサイクルに乗せ繰り返し目的追求をしていくべきであり,博多は「治水都市博多」へ移行していくべきである。

○さんま「自転車交通」

現在,日本は世界で第3位の自転車保有大国であるにもかかわらず,他国と比較して自転車道の整備など自転車に関する政策が遅れている。そういった状況の下で,自転車に関する問題,特に放置自転車や歩行者対自転車の交通事故増加などが大きく取り上げられ,ますます自転車の地位は危ういものとなっている。具体的には,放置自転車台数は年々減少していっているものの,それに伴い撤去する台数が増加していたり,歩行者との事故の問題を重く見た警察庁が積極的な検挙を宣言したりしている。しかし,そもそもこのような状況を生み出したのは,日本のクルマ中心の社会であると考えられる。クルマの通行スペースが道路の大半を占め,歩行者と自転車が限られたスペースの中で衝突している現状は,自転車や歩行者の「交通権」を侵害しているように思える。この問題を解決するため,ヨーロッパの自転車利用に積極的な国々の施策を見てみると,これらの国々はそろってクルマの都市部への流入を抑えた上で自転車の利用の拡大に向けた施策を行っていた。そこで,日本もそれらの国々を見習い,クルマの流入を抑え,それによってできたスペースに自転車道を設置し,駐輪スペースを設けるという方策を考察した。

○友石さやか「公共サービス改革法」

平成18年7月7日に「競争の導入による公共サービスの改革に関する法律」(以下「公共サービス改革法」という)が施行され,日本にも市場化テストが導入されることになった。そこで本論では第1章で一般的な公共契約における手続き,その問題点を概観し,第2章で市場化テストの仕組みや,現存の民間委託の手法とどういった点がことなるのかを少しだけみていく。そして,第3章で市場化テストの課題を探しそれに対する私案を出す。今回は官,民のどちらが落札するにしろ,公平な評価を持って落札者を選ばなければ市場化テストの大切な前提を欠くと考えたので落札者をどのようにしたら公平に選ぶことができるかについて重点を置いた。 公共サービス法はまだまだ問題点や本当にうまく機能するのかという点で疑問もあるし,改善すべき点が多々あるが,公共サービス法のなかで行政契約を手法として用いたことは行政契約を考える上で大きな役割を果たすことになる。あまり重視されてこなかった行政契約をもう1度考える上でも規制緩和,民間解放ということを改めて考える上でも有効な素材である。今まで行われた民間委託が行政主体と関連の深い法人や団体と契約により結びついている状況について,民間競争入札という手法を制度化したのだから手続きとして公正性・透明性を確保できる制度として意義があると考えた。

○発明の母「美術館の新展開」

美術館とは,芸術に関する資料を収集し,保管し,展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資するために必要な事業を行い,あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする。この美術館を支えているのが,美術館で働く専門職員・学芸員である。しかし学芸員は,非常に困難な状況に立たされており,その存在のあり方そのものが,美術館全体の問題を左右している。具体的には,雇用環境の悪さ,外国の同等制度と比べた場合の専門性の低さ,就職率の低さ等である。学芸員の問題は,いわば日本の制度設計から取り残された,塞がれていない穴のようなものである。 そして昨今,その美術館に指定管理者制度が導入され始めた。本制度に関して,美術館界の動きは様々であり,指定管理者制度を上手く活用する美術館,導入を見送る美術館,そして全く新しい独自の制度を考える美術館があった。指定管理者制度を巧みに使いこなした目下成功している自治体として,長崎県がある。 しかしこの長崎県でさえも,学芸員については限界があった。やはり,指定管理者制度は美術館には適さないのではあるまいか。指定管理者制度とは,文化行政を切り捨てて,美術館運営のリスクを軽減するための,ただの隠れ蓑ではないのだろうか。そして,放置された学芸員の問題は,この指定管理者制度によってますます深刻化するのではあるまいか。学芸員の問題をこれ以上放置することは,日本の美術界にとって大きなマイナスである。

○梶原大志「薬害訴訟と医薬行政」

 昨年の8月に福岡地方裁判所におけるC型肝炎訴訟での勝訴は記憶に新しいものである。そのC型肝炎訴訟のように,医薬品の副作用による被害が拡大した薬害事件というのは日本では,昔から数多く存在する。その薬害を引き起こしたのは,法制度の不備や国,企業,医師の癒着という構造である。それら薬害事件の代表としてクロロキン薬害や,薬害エイズが例に挙げられる。それらの訴訟は,医薬品の副作用による被害の発生を防止するために薬事法上の権限を行政側が行使しなかったということを国家賠償法1条1項に基づき争点とした。そして,クロロキン薬害訴訟では被告国は無罪,薬害エイズ訴訟では一部勝訴という形に終わった。それらの判決を受けて今回の福岡地裁の判決が出たわけだが,薬害訴訟において,国の責任はある程度認められるようになってはきているが,その救済の範囲は当時の医学的知見を考慮して行われるため,限定的である。その救済の範囲にある被害者もそうでない被害者も,薬害における被害者であることにはかわりはなく,それら被害者を増やさないためにも薬害事件を未然に防ぐことが重要である。現在,医薬品の安全性は医薬行政によって向上されつつある。医薬品の安全に関することは薬事法によって定められており,薬事法はこれまでに,何度も改正されて医薬品の安全性の確保の向上が図られてきた。その他にも様々な政策が行われている。私たちが,生きていく上では医薬品は絶対不可欠であり,医薬品は絶対的に体に良いものではないので,これから先も医薬行政はより安全な医薬品を目指して発展していかなければならない。それと同時に,国,企業,医師がそれぞれの医薬品の安全性への責任を果たさなければならない。

○屋良朝太「近年の生活保護行政における問題点」

近時,生活保護に関わる報道をよく耳にする。50年以上も前に成立した生活保護法に綻びが現れてきているといわれる。本論文では,近年見られる生活保護行政の問題点について言及する。 まず初めに実際に近時に報道されたニュースを考慮することで現実に起こっている問題を挙げる。次に第1章でまず基礎的な生活保護制度の概要としてその意義,基本原理等について述べる。以降,具体的な問題を扱っていくが,第2章では生活保護費削減の動きに関わる諸問題として,現実に生活保護制度で国民の最低限の生活が保障されているかについて論じる。まず,自分自身,最も問題があると考えた申請書交付拒否問題について扱う。さらに,申請書の交付拒否する一番の原因は生活保護費にかかる予算を削減しようとするところにあると考えられるが,生活保護費は財政的問題だけで削減してよい性質のものではないことに鑑み,削減の合理的原因として考えうる生活保護基準の適否と不適切受給問題の2点について言及する。その後,実際に運営をする立場としての職員の意識の問題について扱う。第3章では最低限生活の保障からさらに発展して,自立にむけての制度としての提言を行う。 本論文で述べるように,確かに現在の生活保護運営には問題があるといえる。国民の最後のセーフティーネットである制度ということをもう一度見直し,財政面だけにとらわれることのない,人権視点の生活保護運営を意識しなくてはならない。

○鳥飼裕紀「行政における文化振興のあり方」

戦後,わが国は経済発展を遂げ,物質的に豊かな生活を送ることができるようになった。しかし一方で,経済活動に直接的な関係ないと思われていた芸術文化については,国や自治体による関心が払われることは少なかった。しかし,近年は文化芸術振興基本法の制定など文化関係の法整備が進み,また多くの自治体において文化関係のホールなどといった施設が整備されるなど,文化振興に対する行政の姿勢が積極的なものに変わってきたように思われる。ところが,そうした施設の不採算性や,国の文化政策の相変わらずの不十分さを批判する声も多い。 そこで,文化振興が地域や国の経済活性化,あるいは福祉政策としての側面など文化政策を行う意義についてみた上で,特に地方自治体レベルでの文化政策について検討した。そして,先進的な取り組みを行っている自治体は,住民参加の仕組みを整え,またそもそもその地域に存在している文化資源を利用して,文化政策を効果的かつ効率的に行っていることがわかった。また,そのような仕組みに加え,文化事業ごとの具体的目標を設定し,その評価とのサイクルを確立することも重要である。こうした施策を採ることで、従来とは異なる効果的な文化政策が展開できることになる。

○藤田麻裕子「街路樹考」

街路樹は日常的に目にするものにも関わらず住民にも行政にもあまり意識されていない。そのため管理が杜撰でかえって邪魔もの扱いされたりすることも頻繁にある。しかし,実は街路樹は多くの機能をもっており,しかも他では代替できない役割を複合的にはたすことができる有用性の高いものだ。そのため街路樹の歴史は長く,日本ではその歴史を奈良時代までさかのぼれ,時の権力者によって保護もされてきた。だが,現代に入り街路樹は無理な伐採をされたり,制約された空間で邪険にされたりと酷い扱いが目立つようになって来た。これは,街路樹関して確たる法令が無く,行政が事務的に管理してきた結果である。一応道路法に道路の付属物としての定義が記されているもののほかに存在するのは道路緑化技術基準という昭和63年に道路局長から通達された規定のみである。そこで,街路樹を有効に活用する手法が必要になっており,現行の制度上で考えると景観法の活用がそれなりに有効である。景観計画に定められた区域の道路は景観計画に即して整備することが必要になり,そうなると,街路樹もその維持管理には景観法の規制や支援を受けることになるからである。しかしながら景観法の活用のためには依然として合意形成という大きな壁が存在する。そこで,自治体と住民との間で土地利用を調整できる団体をつくることが有効なのではと考え,道路管理の様式と財政の問題も踏まえて,緑を中心とした地域づくりを目的とする広域連合の設立を提案するに至った。

○西田智洋「自治体の破綻」

夕張市は一時借入金などの不適切な財政処理を繰り返し,巨額の債務を抱えることになった。自治体の財政の健全性を図る指標のひとつとして挙げられる実質収支比率が20%を超えたら自治体には起債制限がかかり,起債するためには財政再建団体に移行しなければならない。夕張市はこの実質収支比率20%を遥かに超える数値をみせ,財政再建団体に移行することを表明した。財政再建団体は財政再建計画を策定しそれに基づいて財政を立て直していくが,夕張市の財政再建計画は現実的なものであるか疑問が残る。 夕張市のように巨額の債務を抱え,返済能力に疑問が残る自治体のため,「新しい地方財政再生制度研究会」が開かれた。この研究会ではまず,昭和30年から殆ど変わることのなかった現行の財政再建制度の課題として,自治体財政の健全性を示す実質収支比率だけではカバーしきれない会計があることを挙げ,新たにフロー指標とストック指標という指標を提言し,自治体財政の健全性を表そうとしている。夕張市も実質収支比率ではカバーしきれていなかった会計での赤字があった。この指標の対象範囲を広げることによって財政が悪化している傾向を掴みやすくなり,早期の財政健全化を図ることができる。 早期の財政健全化を行えば,財政再建を大掛かりにすることもなく,早め早めに対応できるので,フロー指標やストック指標の基準設定は厳格になされるべきである。そのためにも,まずは自治体が正確な指標を報告させる制度を整備することと,また外からのチェックということで第三者機関が必要である。

第24回 自治体破綻・道州制

後期のゼミ報告としては今回が最終回となりました。
自治体破綻の報告では,財政再建団体となった夕張市の対策とその問題点,あるいは破綻を未然に防ぐための法的なしくみの検討の必要性が扱われました。
道州制の報告では,これまでの地方自治・分権論を踏まえ,具体的にどのような道州制を構想するかが取り上げられました。財政調整や道州内部の自治構造,あるいは道州制による人材の地域定着の問題について私見を具体化することが今後の課題となりそうです。
今回もオープンゼミで,多くの2年生の方に見学いただきました。

第23回 街路樹・内水氾濫

街路樹の報告では,街路樹を道路の附属物としてしか見ていない現行のしくみの問題が指摘され,いくつかの解決案が出されました。具体的な条文を自分で解読する技術を高めると,より説得的な話の運び方ができると思います。
内水氾濫の報告では,福岡市の報告書を踏まえ,博多駅の水害の原因と対策の分析が中心となりました。防災組織の問題や,防災計画の作り方について深めることが今後の課題となります。
今回はオープンゼミで,2年生の方々にも見学していただきました。次回もオープンゼミとなります。

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